2013年11月13日水曜日

ジョセフ・スティグリッツ「南アフリカ 抜け出る」

世界の著名人が論調を発信するプロジェクト・シンジケ-ト(米国・ニュ-ヨ-クとチェコ・プラハに拠点)に、ジョセフ・スティグリッツが掲載した記事を翻訳掲載します。この間、途上国に対して深刻な影響経済連携協定の見直しの動きが出ていることを紹介しているものです。

ジョセフ・スティグリッツといえば、ノーベル経済学賞を受賞した代表的な経済学者でコロンビア大学教授。クリントン政権時代には大統領・経済諮問委員会の議長を務め、世銀の上席副総裁、上席エコノミストも経験しています。最近は格差や社会の分断についての著作を出版する人物です。(翻訳:戸田光子/監修:廣内かおり)

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南アフリカ 抜け出る(ニューヨーク発―2013年11月5日)


国際投資協定が今またニュースになっている。米国は2つの大きな、いわゆる“経済連携”協定の中で強固な投資協定を押しつけようとしている。その1つは大西洋、"bridging the Atlantic"もう1つは太平洋"the Pacific"をまたぐ協定で、現在交渉中だ。しかし、そのような動きに対して反対が高まっている。

南アフリカはアパルトヘイト撤廃後間もない時代に調印された投資協定を自動更新しないことを決定し、打ち切る協定もあると発表した。エクアドルとヴェネズエラはすでに協定を打ち切っている。インドは紛争解決の仕組みが変わらない限り米国との投資協定に調印しないと言っている。ブラジルはそのようなものにまったく関与したことがない。

こうした抵抗にはもっともな理由がある。米国内でさえ労働組合、そして環境保護、保健、開発、その他のNGOが米国の提案している協定に反対しているのだ。

経済連携協定は、途上国政府が、鉱山会社やその他の会社から自国の環境を守り、病気や死亡の原因となると知りながら製品を広めるタバコ企業から国民を守り、2008年の世界金融危機で非常に大きな役割を演じた破壊的金融商品から自らの経済を守る能力を著しく妨げるものだ。たびたび金融市場に大損害をもたらし、途上国の危機をあおった不安定な短期資本移動のようなものを政府が一時的に管理下に置くことさえ制限する。実際、経済連携協定は、債務の再編から積極的差別是正措置に至るまで政府のすることに異議を唱えるために使われてきた。

このような経済連携協定の支持者たちは財産権を守るために協定が必要だと主張する。しかし南アフリカのような国にはすでに憲法が保障するしっかりした財産権がある。自国民の所有する財産より外国企業所有の財産のほうを優先して守らなければならない理由はない。

さらに、もし財産権保護に対する南アフリカの約束を投資家に納得させるのに憲法の保障でも十分でないというなら、外国人はいつでも、多国間投資保証機関Multilateral Investment Guarantee Agency(世界銀行グループの一員)が提供する収用保険や同様の保険を提供するさまざまな国家機関を利用することができる。(たとえば、アメリカ人は海外民間投資公社Overseas Private Investment Corporationから保険を買うことができる。)

しかし投資協定を支持する人たちは、どちらにしても、財産権の保護について本当に心配しているわけではない。真の目的は、企業に規制をかけ課税する政府の能力を制限することにある。すなわち、権利を守るだけではなく、政府が企業に責任を課す能力を制限することにある。企業は、公開の政治的手順では獲得できないものを―秘密裏に交渉した貿易協定を通して―こっそり手に入れようとたくらんでいるのだ。

これが外国企業を保護するものだという考えさえ一種の策略である。A国を本拠地にする企業がB国に子会社を作りA国の政府を訴えることもできる。たとえば、アメリカの裁判所は一貫して規制の変更による利益の損失(いわゆる規制的収用)に対して企業に補償する必要はないと裁定してきたが、典型的な投資協定の下では、外国企業(あるいは外国の子会社を通じて事業を行うアメリカの企業)は補償を要求することができるのだ!

さらに悪いことに、投資協定は、まったく理にかなった当然の規制変更に関して、企業が政府を訴えることができるようにするものである。―たとえば、タバコの使用を制限する規制によってタバコ会社の利益が減じたときなどだ。南アフリカでは、人種差別政策の後遺症に取り組むべく策定された政策によって純利益が損なわれた可能性があると企業が確信すれば、訴えを起こすことができる。

これまで長期にわたってとられてきた「国家主権による免責特権(訳注:国家が外国の裁判権に服することから免除される国際法上の原則)」という考え方がある。つまり、国家が訴えられるのは限られた状況の下でだけであるというものだ。しかし米国が支持するこのような投資協定は途上国に対し、この免責を放棄し、21世紀の民主主義のあるべき姿からはかけはなれた手続きによる裁定を容認するよう要求している。この手続きには、複数の委員会から提出された相容れない決定を一致させるための体系的な方法もなく、恣意的で気まぐれなものであることがわかっている。支持者たちは投資協定によって不確実性が小さくなると主張するが、こうした協定の条項の曖昧さや解釈の対立によって、不確実性は大きくなっているのだ。

このような投資協定に調印した国々は高い対価を払ってきた。なかには、膨大な数の訴訟―そして莫大な額の支払いにさらされてきた国もある。非民主的で腐敗した前の政府が調印した契約について、国際通貨基金やその他多角的機関が無効とされるべきだと勧告してからも、国家はそのような契約を守るべきであるという要求すら出されている。

途上国政府が訴訟に勝っても(訴訟は過去15年間で大幅に急増した)、訴訟費用は巨額である。その(意図された)効果は、企業に規制、税、そしてその他の責任を課すことによって国民の利益を守り、前進させようという、政府の合法的な努力を委縮させることである。

さらに、そのような協定に調印するという愚行を犯した途上国にとって、たとえ利益があったとしてもわずかであることが証明されている。南アフリカ(政府)による再調査で、協定を結んだ国からは多額の投資を受けておらず、結んでいない国から多額の投資を受けていたことがわかった。

南アフリカが投資協定を慎重に見直した後、少なくとも協定は再交渉するべきであると決定したのも驚くことではない。そうすることは投資に反対なのではない;開発に賛成なのだ。そして、もし南アフリカ政府が国の経済と国民にもっとも役立つ政策を追求しようとするなら、見直しは必要不可欠のものである。

実際、国内法で保障されている投資家保護の内容を明確にすることによって、南アフリカは、1996年の新憲法採択以来繰り返ししてきたように、法の支配に対する国の責任を今改めて行動で示している。民主的な意思決定を最も深刻に脅かすのは投資協定そのものなのだ。

南アフリカを祝福すべきだ。他の国も後に続くことを願っている。(翻訳:戸田光子/監修:廣内かおり)

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